序章 〜 シンジ、微動
作 / Sa−toshi ・ 画 / 森里 涼


「男だったら飛び箱の6段ぐらい飛べんでどーする!いいか、飛び箱を飛ぶコツは…」

 骨太だが、身長が低いために太目に見える三十路も半ばの男性体育教師の檄が体育館の半分側に飛ぶが、その日の授業を受けている大方の男子生徒はまともに聞いてはいない。

「男だからって、何で飛び箱が飛べなくちゃいけないんだろう」

 教師の言葉を頭の中で反すうしながら、碇シンジは体育館のむき出しの鉄骨にぶら下がっている館内照明の蛍光燈の列をぼんやりと見上げていた。初夏の午後、ガラガラと扉が開けられた館内は適度に風が通る。Tシャツにショートパンツというリラックスした服装もあって、いい加減午前の授業で消耗した頭を休めるのに丁度いい気温だ。

「おい、シンジぃ、見てみろよっ」

 大きなあくびをしたシンジの横っ腹を、級友の相田ケンスケが突っついた。飛び箱とマットが用意された回りを20人程の男子生徒が膝を組んで床に座りながら3重4重の輪で取り巻いている。最前列の生徒は仕方なく教師の話に付き合っているが、他の連中は館内のもう半分を使ってバレーボールの試合をしている同じクラスの女子たちに熱い視線を注いでいるのだ。シンジと一緒に輪の後列にいるケンスケや、悪友の鈴原トウジはその一挙一動に鼻の下を伸ばしている。彼女たちがボールを追い掛けて右に左に交錯したり、そのプレーに声援を送ったりする度に、彼らの視線も一緒に動く。

「ウウッ、そそられるのォ、透けたTシャツの下で揺れる胸、裾からのぞくヘソのあたり、ピッタリとケツにフィットしたブルマ、なぁシンジィ!」
「あぁ、ウチらと同じ中学生なのに、ちょっと見ないうちにあんなに見事に育ってしまって」

 トウジもケンスケも口元にヨダレを溜めている

「そ、そうかな?」
「そうかなって、ダンナもツレナイこと言うねぇ」
「碇ぃ、お前、ホンマ何も感じへんのんか?」

 反応の鈍いシンジにケゲンな表情のケンスケとトウジ。

「なんか、トウジ見てると、ブルセラ通いのオヤジって感じ」
「ププッ、それは言える」
「ケンスケまで何言うとんネン!」

 シンジのツッコミに噴き出しそうになるケンスケと、反発するトウジ。その声を聞きつけた教師が3人を叱り付けると、彼らの周囲の男子は関係ないという顔をして下を向いたりそっぽを向いたりして関わり合いになるのを避けた。

「そこ、私語がうるさいぞ、3人とも立っとれ!」
(何で僕が…)
(トウジのアホっ!)

 シンジとケンスケは小声でトウジを罵りながら、3人一緒に仕方なく立つ。

「見て見てっ、また鈴原たち立たされてる」
「以外ーっ、碇くんも一緒じゃん」
「最近、アホが移ったんじゃないの」

 バレーコートの女子たちが、立たされた3人を見て冷やかす。懲りずに左手でピースサインなど作って愛想を振るトウジをクラス委員長の洞木ヒカリがムッとした顔で叱り飛ばした。

「全く、鈴原のおバカっ!碇くんまで何やってんのよ」
(トウジ、怒った委員長ってなんか可愛いよな?)
(そうか?ああいうのが趣味なのかよケンスケは)

 教師が飛び箱の講義を再開したのをいいことに、トウジとケンスケは再び女子の品評を始める。

(碇はどの娘がタイプなんだよ?)
(知らない)
(またまたトボけちゃって)
(放っといてよ)

 まだ転校して来て日の浅いシンジは、ただでさえ他人と話すのが苦手なこともあってクラスの女子のこともあまり知らないのだ。おまけにこんな恥さらしな目にまであって、彼はトウジたちとの会話を無視しようとした。

「シンジっ!」
「何だよ、しつこいな!」

 ケンスケの呼びかけにそう叫んだ瞬間、シンジはバシッという音と共に側頭部に強い衝撃を受けて気を失った。女子のバレーコートから大きく外れたサーブの球が彼に命中したのだった。

■■■

 シンジは保健室の救護ベッドの上で意識を取り戻した。天井から枕の横に向ってボンヤリと視界を回すと、丁度ベッドの横、流し台のあたりにTシャツとブルマの体操服姿で女子生徒がふたり、シンジに背中を向ける形で後ろ向きに立っている。

(…ピッタリとケツにフィットしたブルマ)

 先刻のトウジのいささか下品な言い回しが、シンジの耳の奥にこだましてなかなか消えない。彼の視線は向かいのふたりの女子生徒の黒のブルマのヒップラインに注がれた。そう言われてみれば確かに、ブラインドの降りた窓から入る柔らかい光線にまろやかな影をたたえたそのボリュームは、言葉に出来ない不思議な気持ちにシンジをさせる。この、胸の奥がゆっくりと絞められるようなせつなさは何だろう?

「あら、目が覚めた?」

 次の瞬間、ひとりがクルリと向き直ってシンジを見た。委員長のヒカリである。妙な妄想に浸り始めそうになっていたシンジは突然声を掛けられて反応出来ず、口を小さく半開きにした呆けた顔で固まってしまった。彼の目にはヒップラインから反転したヒカリの下腹部の生地に小さくシワの寄った微妙な部分が映る。

「大丈夫?碇くん」

 彼の間の抜けた顔が、ヒカリには頭を打ったショックから抜け出せないでいるように見えたらしい。彼女がシンジの方に近寄り、上体を屈めて彼の顔を見詰める。

「うん?あぁ…」

 間抜けな返事を返すシンジ。耳の後ろで左右2つに結んだトレードマークの髪と少しソバカスの目立つ彼女の顔の下、Tシャツの襟ぐりから彼女の胸元のブラに寄せられた浅い胸元が影の中にのぞくと、シンジはひとりで赤面してようやく彼女から視線を外した。

(何てことしてるんだろ、俺は)

 善意で接してくれている彼女に対する軽薄な自分を責めながらも、しかし心のどこかでシメシメと思っている自身の邪念に、シンジは初めて気付く。

「私、保健の先生呼んでくるから、綾波さんはここで碇くん見てて」

 そうもうひとりの娘に頼んで廊下に出て行くヒカリ。後に残ったのはシンジと共にEvaシリーズと呼ばれる人型汎用決戦兵器に搭乗して人類の敵と呼ばれる『使徒』と戦う少女、綾波レイ。口数も少なく、感情表現にとぼしい彼女とあまり話す機会はなかったシンジは今、初めて彼女とクラスメートとして間近に接していた。ヒカリと比べるとややシャープな顎のラインや光線の加減によっては銀色にもブルーにも見える独特の色の抜けたショートカットの頭髪。いつもうつむき加減で歩いている時の彼女からは想像出来なかったが、半袖から伸びた腕の透けるような白い肌とそれなりにボリュームを持ってTシャツを盛り上げている胸。細い腰と控えめな尻のラインとはアンバランスな柔らかさを感じさせるふとももの白さ。

(何も着けていない彼女って、どんな感じなんだろう)

 流し台の前でタオルをすすいで絞り、パタパタと広げてたたむ彼女の姿をシンジの邪念は観察し、頭の中でその身にまとっているものを剥ぎ取ってみる。淡い光の中で背中を向けたレイが肩越しにクスッと微笑みながらブラの肩ヒモを外し、屈みながらパンティを脱いでみせる。そしてゆっくりと…。

「もう大丈夫そうね」

 その時タオルを小さく巻きながら不意にレイが顔を上げてシンジを見つめた。毛布を被っているシンジの下半身の真ん中が勃起し始めていた。すべてを見通したような冷めた目つきで彼を伺うレイの言葉にシンジはドキドキする。

「ア、あぁ…もう、大丈夫かな?」

 上体をゆっくりとベッドの上に起こしながら、弱々しい笑いで取り繕うシンジは彼女の方をまともには見ることが出来ない。

「熱があるならもう少し寝てたら、はい、コレ」
「あ、うん」

 硬く絞った濡れタオルをシンジに手渡すと、彼女は淡々とした口調でそう言い残して彼の枕元から離れる。顔の赤らみまで見抜かれているのか?シンジは曖昧な返事しか出来ない。

「もう時間だから先に行くわ、訓練にはちゃんと出てね」

 そう言い残してレイは保健室を立ち去った。毎日放課後、2人はEvaシリーズ運用のための訓練を受けているのだ。

(彼女、ミサトさんに妙なこと言わないだろうな?)

 シンジは保護者として彼の身を預かる猛女、NERVというEvaシリーズの開発運用組織で戦闘責任者を勤めている葛城ミサトのことを考えた。男っぽいサバサバした性格のミサトのことだから、もし変なウワサでも立ったら張り倒されるかもしれない。

「嫌だなぁ、訓練サボっちゃおうかナ」

 毛布を被って嘆くシンジのもとにヒカリが戻って来た。ガラガラと扉が開いて彼女ひとりが再びシンジの枕元に立ち寄る。

「頭、痛くない?気持ち悪くない?」

 見当違いの悩みに頭を抱えているシンジのことなど知らず、ヒカリは甲斐甲斐しくシンジの顔色を伺う。薄っすらと汗を吸ったTシャツから立ち上るかすかな体臭に再び動悸を覚えるシンジ。

「保健の先生、今ちょっと電話から離れられないって、具合が悪くなければ帰ってもいいそうよ」
「うん、いろいろごめん」
「気にしないで、委員長として当然よ」

 ニコニコと微笑むヒカリ。声では済まなそうに言いながらも、目線はTシャツに薄っすら透けた彼女の下着のラインの下にある愛らしいふくらみを気にしているシンジ。

「じゃあ、私、コートの片付けが残ってるから行くね」

 立ち去る彼女の後ろ姿を追いながら残り香をゆっくりと胸に吸い込むシンジは、己の心の中の陰と陽の自我のバランスが微妙に狂い始めていることをまだ自覚してはいなかった。しかし、彼を取り囲む女たちの香りは今、彼を確実に変えようとしている。萎えかけていた彼の下半身はふたたび硬直を戻し始めた。

「そそられる、か…」

 レイに手渡されたタオルで顔を覆いながら、ふとトウジの口にした品のない形容詞を無意識に口にしているシンジだった。

 


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