第4話 〜 アスカ、融解!(前編)
作 / Sa−toshi ・ 画 / 森里 涼


 惣流アスカ・ラングレーは操縦系統のシステム異常を示す警告表示が点滅するエントリープラグの中で険しい表情をしながら、両腕に力を込めて左右のコントロールグリップを握り締めている。もはや弐号機は彼女の意識では立ち上がることもままならず、滑走路の白く照り返すコンクリートにうつ伏せに這いつくばるばかりだ。

「アスカッ!返事くらいしなさいよッ!」

 通信回線から聞こえる作戦部責任者・葛城ミサトのヒステリックな声にもアスカは応答せず、唇を噛み締めているだけだ。その顔は屈辱に歪み、LCLの充填された定温環境にもかかわらず、次第に怒りで赤熱してくる。それは彼女の複雑な生い立ちにかかわる心の歪みに新たな圧力を加えた者たちへの抗議と、それを克服出来ない自分の不甲斐なさに対する失望の入り混じった苛立ちであった。

「なぁにやってんのよ!あのコったらッ、普段は大口叩いてるくせに」

 ミサトの罵声が続く。その日、夜明け前に密かに箱根火口原地下の格納庫から二子山山腹の立ち入り禁止区域の搬出ブロックにリフトアップされた3体のEvaは、NERV所属の輸送隊が運用する大型の専用VTOL(垂直離着陸)キャリアで戦略自衛隊管轄の厚木飛行場に運ばれた。その目的は広い敷地を使っての実戦訓練である。想定された課題は60秒の間にアンビリカルケーブルから解放されたEva3体が標的に対して三方から一糸乱れずパレットガン、トマホーク、ソードで攻撃を掛けてせん滅するというものだ。富士川河口でシンジとアスカが行った複数機のEvaによる同時攻撃をレイの零号機を含めた3機で可能にしておこうというのが、この訓練の立案及び現場責任者でもあるミサトの意図であった。

「いいこと?3人ともタイムカウントがゼロを指したら標的にアタックするのよ」

 快晴下、相模湾から吹き込む南風もない無風状態でギラギラとした太陽に滑走路の強化舗装は焼かれ、彼方の景色が陽炎に揺らぐ。飛行場の片隅に止められたトレーラー内の移動発令所にいるミサトのインカムからの指示が、滑走路の北の端に整列して立っている3体のEvaのそれぞれのパイロットに無線を通じて届く。この時から既にアスカの具合はおかしかった。零号機搭乗の綾波レイと初号機搭乗の碇シンジからは復唱が返ってきたものの、アスカからは反応がない。ミサトがアスカに返事を催促すると、間を置いて気の無い彼女の声が返ってきた。

「アスカ!命令は了解したの?」
「あ〜い、聞こえたわよ」

 眉間に皺を寄せて不愉快そうなミサトは隣に立ち会う技術部責任者・赤木リツコと目を合わせる。そして訓練は開始された。発令所内とEva各機、そして発令所の外に置かれた大きな電光掲示時計のデジタル表示がゼロフラットを指して作戦部スタッフ・日向マコトがスタートを宣告した瞬間、身を屈めて巨大トレーラーを仕立てた数台の移動電源車から待機用電源を供給されていた3体は、アンビリカルケーブルを背中から切り離し、同時に各々の手にする武器の置かれた所まで一直線に猛ダッシュを開始した…はずだった。

「零号機、初号機、Aポイント通過」
「弐号機、スタートに失敗!」

 レイとシンジの順調な滑り出しを確認したマコトの声にダブって、隣の青葉シゲルがアスカの不始末を告げると、ミサトはスタート地点を監視する映像モニターにカジり付く。カウントゼロの前後がスキップバックして映し出した映像の中で、弐号機はアンビリカルケーブル解放の直前にフライングスタートしていた。ケーブルは巨大なドラムリールに巻き取られていて通常は十分な長さを引き出せるが、スタート前にストッパーの解除を忘れていたのだろう。勢い良く飛び出した弐号機は後ろからケーブルに引っ張られ転倒。巨大なケーブルリールを乗せたトレーラーが固定用のアウトリガーごと宙に浮き再び着地し、その衝撃で双方の周囲からホコリが舞う中、弐号機はベッタリと滑走路に張り付いていた。

「あッちゃァ」
「ブザマね…」

 左の掌で額を支えて顔をシカめながら俯くミサトと、シラケたという表情で腕組みをしているリツコの見ている高所からの俯瞰カメラは、まるでカエルのように地面に伏している弐号機を捕らえている。

「弐号機、アスカの精神グラフが安定していません、シンクロ率徐々に低下!」
「アスカっ!どうしたの、答えなさい」
「ッさいわねっ!やってらんないワ!」
「ひとまず訓練は中止すべきね」

 プラグをモニターしている技術部スタッフ・伊吹マヤが弐号機のパイロットの異常を告げ、遠目に見守っているはずの戦略自衛隊の前でメンツを潰され怒鳴るミサトにアスカが逆上し、ついにはインカム越しの大人げない口論になりかねない雰囲気を察してリツコがミサトの回線スイッチを切り、わざわざ日曜日を潰してセッティングした訓練は中断された。

「…シンジの、馬鹿ッ」

 いくつかの警告インフォメーションが点滅するエントリープラグの中で、立てた膝に顔を埋めるようにしてつぶやくアスカの脳裏にはその時、ほんの2日前の金曜日に学校であった出来事がおぼろげにプレイバックしていた。

■■■

 金曜日。青空をまばらに覆っている薄い雲のベールでは強い陽射しを遮ることなどほとんど出来ず、第壱中学校のプールサイドのコンクリートが白く照り返している。そしてプールサイドは、何か妙な緊張感と興奮に包まれていた。その日行われる2年生の水泳の授業は、緊急展開訓練のための国連軍の資材が臨時に校庭の半分以上を占拠するという事態によってプールを半分に仕切り、本来なら陸上競技をするはずの男子と元々水泳の授業だった女子が一緒に行うことになったのだ。

「な、なんか、こう落ち着かんのぉ」

 校庭で行われているフィールド競技の授業の最中ならばプールサイドに立つ水着姿の女子たちの品評会を率先してやっている鈴原トウジも、何故かプールの一方のスタート台の辺りに固まっている競泳パンツ姿の男子の中で背中を丸めて体の前を隠すように座っている。

「そうかな?」
「センセはエライ余裕やなぁ」

 シンジはその集団のいちばん端、女子に近い側のプールサイドに腰掛けてボンヤリと陽射しをキラキラと反射している水面を見ている。モジモジしたトウジの声にあっさりと返事を返すシンジ。トウジは横目でチラチラと反対側のスタート台の辺りにまばらに散って談笑している女子の方を見ながら、シンジの顔を覗き込む。

「別に恥ずかしがることもないと思うけどな…あ、アスカだ」

 テストだ、データ取りだと理由を並べられて裸でモニタリングされたエントリープラグに乗り込まされたり、奇妙なレオタード姿でアスカと一緒にハーモナイズトレーニングのダンス練習を仕込まれたりという経験を積んだシンジにとって水着姿で女子と一緒にプールサイドに居ることなど大した問題ではなかったのかもしれない。例によって弱々しい微笑みと共にトウジに答えるシンジは、その時ひとり遅れてプールサイドに現れたアスカを見付けた。次の瞬間には男子からどよめきの声が上がる。体の具合が悪いと数日間学校を休んで、NERV管轄の医療センターに入院していたアスカ。彼女が水着を着て水泳の授業に出席するのはこれが初めてだった。

「おぉ!アスカちゃん…素敵過ぎる」
「クヤシイけど、惣流のあの格好は似合っとる」

 アスカに熱を上げている相田ケンスケは他の男子と共に呆然とプールを囲うフェンスの出入り口に立っている彼女を見て感嘆の声を上げ、普段は彼女と全くウマの合わないトウジも感心している。

「あいつ…落ち込んでると思ったらそうでもないじゃん」

 シンジはその入院の原因になったと思われる、加持リョウジとミサトに絡むアスカのヒステリーのとばっちりを受けたことを思い出してひとりごとのようにつぶやいた。そんな男子たちの視線を知ってか知らずか、その場で左手を腰に当てモデル立ちで辺りを見回すアスカ。

「ま、クソ暑い日本の夏にはプール授業もイイか…」

 彼女は他の女子が着けている平凡な紺色のスクール水着ではなく、薄い生地が肌にフィットした色鮮やかなシルクレッドに黄色いアクセントラインの入った、背中の大きく開いた大胆なハイレグの競泳用水着を着ていたのだ。

「惣流さん、大胆…」
「よほど自信があるのね、くやしいけど…」
「羨ましいわぁ」
「目立ちたいアスカの気持ちはわかるけど、それって絶対に校則違反よッ」

 女子の中からヒソヒソと賛辞や皮肉の囁きが漏れ、クラス委員の洞木ヒカリが眉を吊り上げるのも構わずに彼女は滅菌用の薬浴槽とシャワーカーテンをくぐり抜けてプールサイドに立ち、固まっている男子たちの視線に向かって造り笑顔でニッコリ微笑む。トレードマークのヘッドセットを付けたまま、濡れて濃く赤みかがった髪が首筋から背中に垂れ、水気を含んだ水着が一層体の線を強調している。その彼女の姿にオオッという男子たちの2度目のどよめきが風に乗ってはっきりと聞こえると、アスカは調子に乗ってピースサインでそれに応えた。しかし、その彼女の頭をコツンと軽い衝撃が襲う。

「惣流さん、集合ですよ」

 アスカほど派手ではない競泳用の水着を着けた保健体育担当の女性教諭が彼女の後に立っていた。集合の合図に反応しなかったアスカの頭を、彼女は片手に持っていた出席簿で軽く叩いたのだ。

「痛ったぁい、何するんですかぁ?」
「それだけ声が出るなら体はもう大丈夫ね、一応規則だから次回の授業からはみんなと同じ指定の水着にしなさい、それとキャップもちゃんと被ってね」
「え〜ッ、ダッサぁい…」

 ブリブリな口調で抗議するアスカの声には耳を貸さず、教諭は彼女の格好を注意すると、なおもムクれるアスカには取り合わずに出席を取るためにプールサイドの一角に女子を集めた。

「先生はどうでもいいけど、アスカちゃんには特別に認めるべきだよな、ハイレグは」
「そう?こっちの先生も来たよ」

 その光景を見て、私情も絡めながらアスカに同情するケンスケの言葉につれなく返事をしたシンジは、こちらも出席を取るためにスタート台の中央に現れた男性体育教諭の方に向き直る。

「碇って、マジでアスカちゃんに興味ないの?」
「別に」
「あぁ、俺に才能があるならば今すぐにEvaのパイロットを代わってあげるのになぁ、天は何で碇みたいなカタブツに才能を与えたのだろう…」
「まぁ、尻に敷かれっ放しの碇にしてみれば、人には言えない思いも味わっとるのやろ、惣流のあの性格じゃ…」
「オレも味わいたい、そんな苦労なら」
「やめときケンスケ、惣流は絶対にサディストや、なぁセンセ」
「想像に任せるよ…」

 出席を取り終えてプールサイドで形ばかりの準備体操をしながら、シンジはケンスケとトウジのアスカ談義に適当に相槌を打っていた。正直なところ、来日以来のアスカに振り回され通しのシンジは、喜んで彼女の話題に花を咲かせる気にはなれなかったのだ。

「よーし、前回の授業でバタ足と息継ぎがOKだった者は3、4、5コースで各自が自由形の練習、OKをもらえなかった者はこっちで特訓するぞ」

 ジャージを脱いで筋骨の張った競泳パンツ姿になった男性教諭は、グループを2つに分けると泳ぎの苦手な生徒の特訓を始めた。既にOKをもらっているシンジたちは自由形の練習に入る。とは言っても、サボらない程度に友達と雑談しながら適当に流すという感じなので知らず知らずのうちに時間が経ち、体温を奪われて唇が紫色になってくる。20分も水中に浸かり続けていただろうか、シンジは尿意を催してプールから上がると、近くの校舎1階のトイレで用を済ませてプールに戻って来た。

「あ、碇クン…」

 フェンスの入り口から薬浴槽に浸かったシンジは、その先でひとり洗浄用のシャワーカーテンの水流を浴びている女子から声を掛けられた。水のカーテンの中に立っているスクール水着姿の少女は委員長こと洞木ヒカリだった。

「委員長」

 薬浴槽から上がったシンジは、両側をコンクリートの壁で遮られた通路状のシャワーカーテンの中で彼女と向き合う。

「さ、最近は調子どう?」
「ああ、何とか…」

 ちょっと慌てたような口調で俯きながらチラリとシンジの方を見て話すヒカリと、わずかに彼女から視線を逸らせて答えるシンジ。ほんの半月程前、ふたりは保健室で体を重ねたばかりだった。それに続いてアスカが学校を休んだこともあって、それ以来何となくお互いを避けていた2人は、この日久々に面と向かって口を利いていた。

「あの、ちょっと具合の悪くなった子がいて、それで保健室に…」

 会話が途切れるのを嫌ったのか尋ねもしないのに、ヒカリは早口で自分がそこにいる理由を説明しようとした。が、保健室という単語を自分で口にしたヒカリはシンジとの出来事を思い出したのか、そこで押し黙ってしまう。ザアザアというシャワーカーテンの水音の中でシンジは、言葉に詰まって下を向いた彼女の体を凝視した。シャワーの水流が激しく流れ伝うヒカリの首筋から、濃紺の生地に包まれた大きくはないが、なだらかな隆起を持つ2つのふくらみ、そして意外にしっかりと張った腰から下腹部へのライン。シンジの中に彼女の体を味わった時に感じたものが蘇ってくる。その熱い視線に気付いたヒカリは水着の上から右手で胸のあたり、左手で下腹部を覆って体をよじった。

「碇クンのエッチ…」

 小声でシンジの視線を制止するヒカリ。だがその言葉に強い拒絶感はなく、むしろどこか甘えを含んだ可愛らしさが漂う。その声に誘われるように彼の中の本能的なもうひとりの自分が目を覚まし、競泳パンツの中の分身がピクリと微動した時、背後から聞き覚えのある少女の声が強い口調で彼に投げつけられた。

「ちょっと邪魔よ!馬鹿シンジ」
「アスカ…」
「こんなところで何、固まってんのよ、邪魔じゃない」

 その声に目覚めかけた本能的なシンジはたちまち身を隠し、彼は気弱そうに少し背中を丸めてアスカの方を見た。やはり用を足すためにに中座していた彼女は薬浴槽から腰を上げてズカズカとシャワーカーテンの中に進み、彼女に場所を空けるように壁際に寄ったシンジの隣に並ぶ。

「じゃぁ、私、先に行くね…」

 気まずそうにその場から立ち去るヒカリ。その後姿を見送るアスカの視線が、すぐ脇でまだ固まっているシンジに向く。左手に丸めたスイミングキャップを持ち、右手を腰に当てた彼女は胸を突き出すような格好でシンジの顔から爪先までを怖い顔で見下ろす。シンジは薄い競泳用のハイレグに包まれたアスカの体を間近に目にするポジションにありながら、例によってビクついた表情で彼女の機嫌を伺う。

「フ〜ン」

 何かを嗅ぎつけたような眼差しでアスカがシンジの方に半歩ほど近付く。壁際に上体を寄せるシンジの視野の中に彼女の勘ぐるような複雑な表情が迫り、その顎の下にまだ小振りだが十分な張りを持つ形のいい胸が突き出されると、水を吸ったシルクレッドの薄い生地越しに豆粒のような先端が透けて見えた。

「いやらしい」
「な、何だよ!」
「フン!馬鹿じゃないのッ」
「おい…」
「知らないッ!」

 胸元を一瞬見やったことを指摘されたのか、それともヒカリとの関係に気付いたのか、シンジに向かってボソッと軽蔑の言葉を吐いたアスカに彼が語気を強めて反応すると、彼女も声のトーンを荒げて得意のひとことを残し、プイっとふくれてシャワーカーテンを出て行った。シャワーの水流を被り続けていたために体温を奪われ、全身に鳥肌を立てながらアスカの後姿を見送るシンジの耳の中で反芻される彼女の言葉に、彼はその冷たさとは逆の熱い感情を感じていた。しかしそれが、シンジとヒカリの和んだ雰囲気の中に少女が擁いた単純明快なジェラシーだと察することが出来るほど、素のままのシンジはまだ大人ではなかった。

■■■

 水泳の授業を終えて着替え終わったシンジ、トウジ、ケンスケの3人が更衣場所になっている空き教室からクラスに戻るために廊下を歩いていると、向うからやはり制服に着替えたアスカとヒカリの2人がやってきた。浮かないような顔をしたアスカは下校時刻でもないのに通学鞄を提げている。

「あ、アスカちゃんと委員長」
「俺、パス」

 うれしそうなケンスケと廊下の窓側に体を向けて彼女たちをやり過ごそうとするトウジ。シンジはお愛想で声を掛けようとする。しかしそれより早く、アスカの罵声が返って来た。

「う〜、3バカトリオだわ、もう駄目!さよならッ」

 鞄を提げた右手を肩にヒョイっと担ぐと、眉間にシワを寄せた彼女はシンジたちの前をスタスタと早足で通り過ぎた。生乾きの重そうに湿った彼女の髪からプールの塩素臭がかすかに漂う。

「あれ、まだ3時間目なのに、もう帰るの?」
「あんた達の顔見たら、寒気がしてきたのよッ」

 シンジのお愛想笑いを含んだ言葉に眉間のシワを深くしたアスカは立ち止まり、ムッとして返事をする。

「何よ、アタシが早退するのがそんなに楽しい?!」

 いつでもとりあえずヘラヘラと愛想笑いを浮かべているこの少年の優柔不断さが、アスカにはデリカシーの欠如と受け取れた。

(アンタのお陰でこんなにイライラさせられているのよ!)

 アスカはそう叫びたいのをグッと堪えた。それを口にしてしまっては、この優柔不断な少年に気があるんだと皆の前で認めてしまうことになる。それは彼女のプライドが許さない。

「碇ィ、いちおうパートナーなんやから、形だけでも心配してやったら…」

 トウジがその場をとりなそうと言った途端、アスカの右手の鞄がブンと彼の頭に飛んで来た。

「パートナー? 心配? 冗談じゃないワ! ふざけないでよッ!」
「おわッ!危ないやないかッ、お前、何をそないにムキになっとんねン!」

 身を屈めて鞄を回避したトウジが目を剥いて、語気を荒げるアスカを見る。だが彼女の目には薄っすらと涙が光っていた。

「アスカ、私が何か悪いことしたなら謝るから、ネ」

 ヒカリが泣きそうな声でなだめようと間に割って入る。

「ごめんヒカリ、あんたは悪くないの、だけど…」

 アスカはシンジとヒカリが親密な関係にあるという事実をはっきりと確認したわけではない。しかし、心が身構えてしまうシンジとのコミニュケーションの不器用さを解決出来ない理由を、自分自身で説明出来ないというもどかしさ。そして自分に出来ないコミニュケーションを、シンジが友達の少女とあっさりと交わしていたという焦燥感。加えて心の拠り所にしていた筈の加持リョウジがミサトとヨリを戻したことで、彼女は孤独感を強めていた。いつでも1番でなければ気が済まないアスカにとって、加持の1番になることが叶わないどころか、同い年のシンジの1番にすらなれないということは我慢出来なかったのだ。

「やっぱり帰るッ、さよならッ!」
「あ、アスカ…」

 取りつくシマもないまま、昇降口へと走り去るアスカを呆然と見送るシンジ、トウジ、ケンスケ。ヒカリは完全に涙声になりながら狼狽している。

「碇クン、アスカを…お願い」

 自分とシンジとの仲を勘ぐられたのだと思い込んだヒカリは、困惑するシンジに懇願する。シンジは仕方なくその後を追ったが、校門の外まで行った時、既にアスカの姿は無かった。後から来たトウジとケンスケがシンジにからかい半分に声を掛ける。

「センセ、あれは恋する乙女のジェラシーやないンか?」
「まさか」
「うー、何で碇ばっかり、こんな羨ましい目にあうんだ?」
「やめてよ、ケンスケまで」
「委員長のセンセにすがる目ェも、尋常やなかったし…」
「関係ないッ!ホラ、始業のチャイムが鳴ってる」
「いかン!ワシ、今日の英語、指名される順番や」

 話がヒカリとのことに及びかねない雰囲気を頭上に響くチャイムに救われたシンジ。3人はバタバタと教室に駆け戻って行った。

■■■

 厚木飛行場での立体攻撃訓練が散々な結果に終わってしまったアスカ。移動発令所内でアスカの処置について作戦部責任者のミサトから一任を取り付けたリツコは、アスカをその場でエントリープラグから降ろさずに、搬送してきたVTOL(垂直離着陸式)キャリアに牽吊して帰投することにした。黙りこくって外部からの通信に全く応じなくなってしまったアスカに向けて彼女を刺激しないように、リツコは感情を交えない単調な声でインカムから呼びかける。

「アスカ、聞こえてると判断して話をするけどいいわね」
「…」
「弐号機はこのまま本部まで回収します。あなたはそのままプラグに載せて帰るわ」
「甘やかすと、ツケ上がるだけよッ」

 リツコの背後で、まだ訓練失敗への腹立たしさから立ち直れないミサトが不機嫌そうに口を挟むと、リツコは余計なことを言うなというようにミサトを睨んだ。

「シンジ君とレイはもうプラグを降りて、マヤ達とこちらに戻ってくる頃よ、行かなくていいの?」
「わかってるわよ、アスカは後でコッテリ絞ってやるから」

 インカムを手で塞いだリツコに戻ってくるパイロットとのブリーフィングに急き立てられたミサトは、そう吐き捨てるように言うと、移動発令所を出て行く。

「弐号機のコントロールを外部コネクタからこちらに移行します、そちらで系統の切り替えが出来ないならば、後の手順は非常マニュアルに従って一切こちら側で進めるけどかまわないかしら?」
「…ごめんなさい、赤木博士」

 零号機と初号機の外観チェックとパイロットの回収に立ち会うために席を外したマヤに代わって、彼女のいたコンソールに座りながら左手でインカムを耳に当て、右手でキーボードを叩きモニター計器を確認するリツコの耳に、力ないアスカの小さな声が返ってきた。

「良かった、話は出来るのね」
「コネクタ接続までのコントロール切り替え操作は、通常マニュアル通りに弐号機側で出来ます」
「そう…じゃ、お願いするわ」

 声を通してアスカが気を落ち着かせてきたことに安堵しながら、別の無線電話で弐号機を回収するための作業班に指示を出すリツコ。作業班によって電源と制御回線が手際良く弐号機の機体に接続されると、再びインカムからアスカが話掛けてきた。

「わがまま言ってごめんなさい、でも今はミサトやシンジと会いたくないの」
「いい機会だわ、私もいろいろ話したいことがあったから…ミサトたち抜きでね」
「パイロット、降格ですか?」

 リツコの言葉に不安そうなインカムの向うのアスカ。

「ミサトはどう判断するかわからないけど、個人的には1度の訓練失敗でそこまであなたに責任を取れとは言わないわ、Eva自体、とてもデリケートなシステムだしね」
「そうですか…気休めでも、赤木博士にそう言ってくださると落ち着きます」
「フフッ、随分とおとなしいじゃない」

 会話にのってくるアスカの体調をモニター計器で平常値の範囲にあることを視認しながら、声のトーンを少し明るくして彼女の気持ちを和らげようとするリツコ。その時、作業班から回収準備の完了を知らせる手元の無線電話が鳴る。

「弐号機を運び上げる準備が出来たみたいだわ、続きは帰ってからね」

 そう言って弐号機のエントリープラグとのインカムの回線スイッチを切ったリツコは無線電話を取ってVTOLキャリアに弐号機を固定するための指示を与えながら、他の管制要員が出払ってしまい、移動発令所の中でひとりになっているリツコの頭の中に一考が浮かぶ。

「惣流アスカ・ラングレー、あなたには新しい薬が必要になってきたみたいね…」

 無線電話を切ったリツコはそうつぶやきながら、目を輝かせた。

 


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