第4話 〜 アスカ、融解!(中編2)
作 / Sa−toshi ・ 画 / 森里 涼


 その夜、ミサトのマンションの部屋に最初に戻ったのはアスカだった。革の野球帽に肩も露わな黒地に水玉模様のキャミソールと白いマイクロミニにビーチサンダルを突っ掛けた私服姿の彼女は玄関を上がると、暗い廊下の先で留守番電話のパイロットランプが点滅しているのに気付く。

『ミサトで〜す、今夜は遅くなるかもしれないのでェ、よろしくっ』
「ノー天気な奴、昼間はあんなに怒鳴り散らしてたクセに…」

 もう1羽の居候は既に冷蔵庫の中で休んでいるのだろう。静まり帰った部屋の中、酔いの回ったミサトの伝言に呆れながら、彼女は灯りもつけずに食堂に入り食料の入っている冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出すと、コップも使わずに直にボトルに口をつけて十分に冷えたものを喉に流し込む。

「何だか、熱いナ」

 つい半時ほど前、NERVでプラグスーツから私服に着替える前にシャワーは浴びて来た。それに外気温が高い夏の夜とは言えここは箱根の山の中である。熱帯夜になるほどではない。しかし、首の辺りや脇の下がジットリと汗ばんでいる。ボトルに3分の1ほど残っていた水を飲み干してしまったアスカは、廊下に出て空調のスイッチを入れる。そして先住するシンジの部屋から強引に半分以上を仕切って獲得した「私室」に入り、着替えの服と下着を籐製のサイドチェストから取り出すと、もう1度シャワーを浴びようと浴室に向う。居間の置き時計の電子チャイムが午後8時を告げる。さっきの留守電に伝言が吹き込まれたのは15分程前だ。多分、ミサトもシンジもまだ帰ってはこないだろう、そんな気がする…。

「ふうッ」

 洗面台のある脱衣スペースと浴室を照らす白熱灯のスイッチを入れながら、全身の火照りを感じるアスカ。深く息を吐きながら脱衣スペースに入った彼女は結わえた後髪を解くとトレードマークのヘッドセットを外して服を脱ぐ。心なしか動悸が早い。気だるそうに背中に腕を回して肩紐のないストラップレスのベージュのブラを外した時、赤みがかったピンク色の小さな乳首にカップの縁が擦れた。

「うンッ…」

 ブラを外しかけたアスカの手が止まり、つい小さなうめき声が唇から漏れてしまう。その感覚は、ドイツにいた頃に誘われるがまま若い医学生について行き、彼の部屋のベッドの上に押し倒されて青い胸の先を舌先で突付かれた時のものと同じだった。

(ヤダッ!何、思い出してんのよ私ったら)

 脳裏に浮かびかけた記憶をかき消すように首を振りながら、やはりベージュのカットの深いショーツを脱ぐと、茶褐色の小さく密生したヘアの下のデルタから、甘酸っぱいような微かな匂いが立ち昇る。火照る身体と胸の先に目覚始めた甘い感覚、そして鼻孔をつく匂い。アスカは軽い立ち眩みを覚えながら、衣服を整理して浴室に入り、身体の火照りを冷ますようにシャワーから勢い良く冷水を流すとそれを身体に当てた。その瞬間に体温が奪われ、全身に鳥肌が立つ。だが意に反して、上向きに固く張り詰めたふくらみの上の砂糖菓子のような小さな乳首は、そのスロープを流れ落ちる水流を突いてその回りの愛らしい乳輪と共に固くしこり立つ。シャワーの強い水流がその尖りに射るように当ると、擦れた時の感覚が一層強くアスカの脊髄を駆け上った。

「イヤだ…」

 感覚を拒絶する力無い言葉とは裏腹に彼女は左手にシャワーヘッドを持ち、ノズルの先を胸の三角錐の直上に触れる位に近付ける。小さな針の先で突かれるような痛痒さに思わず右の掌が右のふくらみをギュッと握りむと、右胸の芯から電流が頭と股間へと流れ出す。ほんの序の口とはいえ、1度火の付いてしまったおんなの感覚を拒絶出来るほどの我慢強さを14歳の少女に求めるのは無理だった。

「誰か帰ってきちゃったら、どうすんのよォ、もぉ…」

 そう言いながらシャワーヘッドを細い腰の臍の辺りから濡れた茶褐色の穂先の下に当てがうアスカ。来日以来、多忙なスケジュールとひとりになれる時間と場所が無かったおかげで、忘れていた行為を身体がすっかり思い出してしまっていた。

「コレッ、たまらないッ!」

 浴槽の縁に股間を開いて座った彼女は、眉間にシワを寄せながらはばからず声を出している。左の指先で女芯を覆うポッテリとした扉を引っ張りながら内側の小さな襞にノズルを擦り付けると、水流が襞の先にある敏感な点を弾き、襞の底がジンジンと熱っぽく緩んでくるのがはっきりとわかった。

「気持ちッ…イイッ」

 扉を開く左の人差指が、その内側の襞の底に添えられる。水流に混じってヌルヌルと指に絡む温かいものを襞の底に前後にスリ付けながら、躊躇していた彼女の指が少しだけくぼみの中に沈んだ。その中にあるべき先客の小さなカプセルは、もうすっかり溶けて無くなってしまっている。それは今、現に彼女の体に思わぬ変調を来たさせていた。

「あンッ、いやッ」

 そこに初めて男を受け止めた時は、まだ彼女の身体はおんなとしては青過ぎた。それは痛く苦しい感覚としてしか残っていない。しかし、それから2年余り。彼女の身体は既におんなとして爆発的な成長の只中にあった。拒絶の言葉を口にすることが、かえって感度を高めることすらその身体は知っているのだ。手を止めてシャワーヘッドを傍らの壁にあるノズルホルダーに掛けたアスカは、頭の上から水流を被りながら、まず両手で胸のふくらみを強く掴む。左右の親指と人差指が左右それぞれの硬直したふくらみの頂上を挟み、ツネる。思わず喉がゴクリと鳴り、大きく膝を開いて浴槽の縁を跨ぎながら背筋を反らせてそこに強く押し付けた芯門の扉がよじれると、吐息とも喘ぎともつかぬものが半開きの唇から漏れ出た。

「ふぅぅッ、ウゥッ!」

 濡れて額や首筋、背中に張り付いた髪の毛の感触さえも、久し振りに目覚めてしまった彼女にとっては心地良かった。荒い吐息とも喘ぎともつかぬ声を漏らしながら、アスカは僅かに腰を浮かせ、右手の指先を2本、芯門の中に当てがい、潤みの中にゆっくりと沈める。まだ狭いその中に沈み込む抵抗感に、彼女は顔をしかめてガタガタと肩と開いた両足を震わせた。久しぶりの行為に耽る彼女が、高みに達するのに長い時間は必要無かった。

「うッ!うぅンッ!」

 頭を垂れて大きく髪を振りながら、身体の動きを止めたアスカ。泣き声のような喘ぎと共に全身の神経が久々におんなであることを主張した瞬間に彼女の頭の中は白くかすみ、おぼろげに人の影が浮かんで消えた。シャワーのザアザアという音が浴室に残った。ハァァッと深く息を吐いたアスカは、涙に視野を霞ませながら、床を流れる水を見つめている。

「加地さんでも、あの男でもなかった…シンジ?」

 蔑み馬鹿にしていたはずの少年の気を、やはり自分は引きたかったのか? 

「これだけ毎日馬鹿にしてるのに、笑ってたなアイツ…」

 一番身近にいる少年を自分の心が求めていることを、もう彼女は否定することが出来ない。頭から水を被り両手で浴槽の縁を掴みながら、気が付けばアスカは泣いていた。

「どうしよう…どうしたらいいの、アスカ?」

 空より高い彼女のプライドと相反するような心の本音に、答えを簡単に出せないアスカだった。

■■■

 月曜日の朝。その日も夜明けと同時にほとんど雲のない東の空から昇った太陽の強い陽射しがグングンと気温を上げていく。レースのカーテン越しにその強い陽射しの差込んでいるミサトのマンションの中では制服に着替えたシンジがエプロンを掛けて例によって朝食の支度をしていた。

「おはよう、シンジ」
「あ…お、おはよう」

 洗面台で身支度を整えていたアスカが、やはり制服姿で食堂に出て来た。挨拶を交わしたシンジがキョトンとした顔でアスカの方を見ている。

「なぁ〜によ、アタシの顔に何か付いてる!?」
「いや、アスカから挨拶するなんて珍しいな、と思って」
「べ、別にィッ! イイじゃないよ挨拶くらい先にしたってサ」

 いつもはシンジから挨拶の声を掛けなければ絶対に自分から挨拶などしようとしないアスカ。それに気付いた彼女は慌てるように少しムキになって取り繕いながら、フンと鼻を鳴らす。月曜の朝だというのに、まだ起きてこないこの部屋の主のことを聞くアスカ。

「ミサトは、まだ寝てるの?」
「昨日は戻ってないみたい、泊り込んだんじゃないかな」
「どうせ、誰かと一緒…」

 テーブルの上に2人分のトーストとハムエッグとサラダと、朝からコーヒーは飲まないアスカのために紅茶の用意をするシンジの答えに強い口調で言いかけて、彼女は口をつぐんだ。何故か今朝はそれから先を口にする気にならない。

「用意出来たよ」
「うん、ありがとう…」
「え?」

 セッティングの手を止めて再びキョトンとアスカの方を見るシンジ。アスカも言ってしまってから言葉に詰まる。やはり昨夜のことが頭に残るせいか、普段のような勝ち気なやり取りが出来ない彼女。

「い、いつもご苦労だなぁッて思ったから…いいじゃないッ、感謝してあげたんだからッ!」
「き、今日のアスカ、キレイだね…」
「アタシはいつだってキレイよッ、馬鹿ぢゃないの!?」

 アスカの態度につられて調子を狂わせたシンジが妙なことを口走ると、ドスンと席に着いた彼女は、赤面しながらスズッと音を立ててティカップに湯気を立てている紅茶をすする。

「あッつい! 熱いじゃないのッ!」
「大丈夫? 気を付けないとヤケドするよ」

 思わず大声を出すアスカを心配そうにテーブルの反対側に座ったシンジが見ている。アスカから見て逆光に入った、白く光るカーテンを背にしたシンジの顔がいつもより逞しく感じられるのにアスカは戸惑い、一瞬だけ彼に向けた視線をテーブルに落とすと慌てたようにガチャガチャと音を立ててサラダをかき込み、トーストをかじる。

(やだ、昨日のあの顔そのままじゃない…)

 シャワーを浴びながら果ててしまった時、脳裏に浮かんだ影とシンジの顔がダブり、ドキドキと胸が高鳴る。このままシンジと2人でいたら、朝から何を言い出してしまうかわからない。朝食を平らげた彼女はズッと音を立てて紅茶を飲み干すとガシャガシャと荒っぽく自分の食器をまとめて流し台に運ぶ。
 
「帰ったら洗うから置いといて、じゃ先に行くからッ」

 アスカはそう言って足早に食堂を離れ、私室から荷物を取るとまだ登校するには少し早いというのに慌てて玄関のドアを開けて出ていってしまった。

「変なヤツ…もっとも、僕も人のことは言えないか…」

 自分の朝食に手をつけながら、シンジは帰ってこなかったミサトのことを考えた。彼女の行為が呼び水になったとはいえ、手荒な行為に及んだ獣のような自分の姿が遠くから傍観していたかのように思い出される。

「ミサトさんが、悪いんだ」

 暴走した自分の中の影が日に日に大きくなってくることに恐れを擁きながら、シンジはそれをミサトのせいにすることで納得しようとしていた。変わっていく自分が恐い…。背後の居間のテレビから聞こえる朝のニュースの天気予報が、間もなく荒れる空模様を告げていた。

「今日もイイのは天気だけ、か」 

 右手に通学鞄を提げてミサトのマンションの正面入口に姿を現したアスカはボソッとそんなひと言を口にすると、まだ始業までは随分と時間があることに気付き、立ち止まって左手を額の辺りにかざしながら、しばらく空を仰ぎ見る。そして再び歩き出した通学路の途中、距離にしてちょうど中間ほどの所にある交差点の角に、植物園の温室のように全体をガラス張りにして内部には常温でも育つ改良種の熱帯植物を茂らせた喫茶店があった。内装にはステンレスパイプとウッドを使い、ウェイターはきちんと黒ズボンに蝶ネクタイを締め、出されるメニューはどれも美味しいという評判の店だったが、未成年が時間潰しに入るには敷居も値段も高く、客層はもっぱら懐に余裕のある社会人だった。

「あ、加持さん…」

 その店の道路端に近い席に座っている中途半端な長髪を後ろで結った加持リョウジの姿を見つけた彼女は、その場に立ち止まるとしばらく躊躇して歩道に視線を落としたが、再び顔を上げると笑みをたたえながら店の扉を開いて、ウェイターの冷たい視線も構わずに加持の座る窓際の円卓にバタバタと駆け寄る。

「かぁ〜じサン」
「ん、あぁアスカじゃないか、おはよう」

 加持は折り畳んで読んでいた新聞から目を離すと、目を細めて微笑みながらアスカに挨拶した。彼女は彼の肩に手を掛けると自分の顎を乗せて、ニコニコしながら彼に甘えようとする。だが、加持は肩を持ち上げてそれを退けると、彼女の顔を正視しようとせずに小言を言い出した。

「アスカ、パイロットだからってわがままはイケナイぞ」
「え〜、アスカそんな悪いコじゃないですよぉ」
「モデルみたいな格好で水泳の授業に出たんだって?」

(ちッ、なぁんでそんなこと知ってんのよ、スパイでもいるのかしら)

 声を殺して悪態をつくアスカ。しかし加持は僅かに横目で彼女を見やっただけで再び新聞に目を向けると会話に乗ってこようとはしない。それどころか彼の口からは小言が続く。

「それに、ちょっとスカート短くないか?」
「だってこの方がカワイイんだもん」
「Evaのパイロットなんだから人並み以上の自覚を持たないといけないんじゃないか?」
「でもぉ、この方が加持さんが喜ぶと思って…」

 加持に気に入られたいからという確たる理由からではなかったが、入院明けで学校に戻る際に彼女は周囲の注目を引きたいという願望から制服のスカート丈を詰めていたのだ。その根底には無意識ながらタイトミニをトレードマークにして闊歩するキャリアウーマンのミサトに対するおんなとしての対抗心があったのかもしれない。しかしその甲斐もなく加持の目には妹か娘くらいにしか映らないようだ。彼は会話が続くのを拒むように彼女を退けようとする。

「悪いが、人と待ち合わせているんだ」
「じゃあァ、その人が来るまで居てもいい?」
「すまないが、今度にしてくれないかナ」

 かまって欲しくて食い下がるアスカを、目は笑っているが邪険にする加持。あるいは彼の待ち人はミサトなのかもしれない。やはり自分は加持にとってただの小娘でしかないのだという思いを改めて味わったアスカはプイッと膨れるとカツカツと足音を立て、通路のウェイターとぶつかりそうになりながら店を出て行った。

「ッるさいっ!」

 交差点の視覚障害者用信号の奏でる単調な電子音楽が、高く上がって路面を焼き始めた暑い陽射しと共にアスカの神経を逆撫でる。彼女は往来の人通りも短く詰めたスカートの裾も気にせず、信号機の鉄柱を右靴の底でガツンと蹴り付けた。

「あ〜あ、これで気分ブチ壊れだわ!」

 そう吐き捨てると、彼女は点滅から赤に変わった歩行者信号など無視して横断歩道を渡り始める。発進しようとしてブレーキを踏まされクラクションを鳴らす車や、その車の脇から出て来て彼女に気付き、バランスを崩しそうになるスクーターを逆に睨み付けながら、彼女は肩をいからせて学校に向かって歩いて行った。

■■■

 後片付けを終えてミサトのマンションから出て来たシンジは、いつもよりも少し遅れて学校に着いた。何となく足が重くなったのは、先週の金曜のプールでのことが頭にあったからだ。土日の休みを挟んで顔を合わせるヒカリは多分、自分を避けるだろう。

「委員長とは、もうダメだろうな…」

 生真面目な彼女が友達のアスカを気にせず自分にのめり込むとはとても思えない。シンジはそんな思いを口にしながら校舎の昇降口で靴を履き替えて教室に行こうとしたその時、鈴原トウジと相田ケンスケが慌てた顔でそこに走って来た。

「おはよう」
「呑気に挨拶しとる場合やナイッ、大変なんや!」
「碇ッ、アスカちゃん大爆発!」
「え〜ッ?」

 トウジとケンスケに付いてシンジが教室に入ると、そこは異様な緊張感に包まれていた。男子が遠巻きにする中、教卓の前では女子たちが人垣を作っている。更にその中心では委員長のヒカリが間に入ってはいるが、アスカとひとりの女子生徒が一触即発の凄い形相で睨み合っている。

「何、これ?」
「ホラ、例の水着のことで、モメてるんだよ…」

 後の扉の辺りでその光景に困惑したシンジの問いに、ケンスケが耳元で状況を説明する。アスカの行為を快く思っていなかった女子生徒の数人が、今日の水泳授業でもあの水着を着ると言ってのけたアスカに噛み付いたのだという。

「叩いたわねッ」
「押しただけでしょ、大袈裟に言わないでよ!」
「ちょっと、もうやめなよぉ、授業始まるし」
「ヒカリ、あんたクラス委員のクセに、規則違反のアスカの肩持つつもり?」
「そんなつもりじゃ…あ、碇ッ!何とかして」

 再び言い合いを始めるアスカとひとりの女子の間を何とか収めようとするヒカリが、友達と委員長の立場の板挟みで言葉に詰まった時、人垣の間からシンジの姿を見つけて声を掛けてきた。周囲の男子がどよめく。ミサトの元に同居していることで、シンジはアスカのお目付け役兼ボーイフレンドのように見られているのだ。

「よッ、御亭主登場!」

 誰かが言った無責任な合いの手に、その場の男子がドッと沸く。その声のした方向をムッとした顔で睨みながら、シンジは渋々その人垣の中に割って入った。例によってひきつり笑いを浮かべつつ説得の言葉を掛けるシンジを、アスカは目を剥いて怒鳴り散らす。

「朝からケンカなんてよしなよ、アスカも校則なんだから、そういう格好するのはやめた方が…」
「アンタまでそんなこと言うの?!何よッ、皆で私ばっかり悪者にして!」
「センセ、危ない!」
「わぁッ」

 次の瞬間、アスカの右掌が飛んで来た。シンジの後に付いてきたトウジが、咄嗟にシンジの肩に手を掛けて彼を助けようとする、バランスを崩したシンジの脇に出たトウジの顔をアスカの平手打ちが直撃し、トウジは反動で手近な机ごとガシャガシャと派手な音を立てて床に転げた。

「鈴原ッ!」
「何よぉーッ、もうッ!」

 ヒカリが倒れたトウジに駆け寄り、アスカは泣きの入った声を上げて教室を飛び出す。あっけに取られているシンジにトウジが上体を起こして叩かれた頬を押さえ、顔をしかめながら言う。

「碇、追っ掛けなアカン、惣流はコワれかかっとる…」
「あ、ああ」

 アスカ絡みで続くトラブルにうんざりするシンジだったが、トウジの言葉と脇にいるヒカリの悲しそうな目が、彼にアスカを追わせた。遠い彼女の背中を追い掛けるシンジが昇降口から表に出ると、晴れていたはずの空には鉛色の雲が広がり始め、風の匂いが雨が近いことを知らせている。息を切らせながら走るシンジは今の状況を重ね合せながら、出がけの天気予報を思い出した。

「天気予報通り、所によって朝から夕立か…」

 風に遠雷の音が聞こえ始めると辺りがどんどん暗くなってきた。最初は離れるばかりだったアスカとの距離が次第に近くなる。出勤時間帯のピークを過ぎて人通りも落ち着き始めた裏通りの歩道。

「ねぇアスカ、待ってよ…」

 体力でかなわないシンジの息が上がり、足取りがきつくなって来る頃、歩き始めたアスカの背中にシンジはようやく追い付いた。苦しそうに肩で息をつきながら引き戻そうと掛けた彼の言葉を、アスカは低く震える声で拒否する。

「ハァ、アスカ…戻ろうよ」
「いや、ついて来ないで」

 肩をイカらせながら早足で歩くアスカの数歩後を困った顔で追うシンジ。やがて暗くなった空から大粒の雨が落ちてきた。それはたちまちザアザアと音を立てて降り注ぎ始める。シンジは歩道沿いの建物の軒に雨宿りしようとしたが、アスカは雨を無視して黙々と歩く。シンジも仕方なく濡れながら追い掛け続ける。そんな2人は結局、ミサトのマンションに戻って来てしまった。

「もう、ズブ濡れになっちゃったじゃ…」
「ついて来ないでって言ったでしょッ!アタシのせいにしないでよ」

 シンジの嘆きに被るようにヒステリックな声を上げるアスカ。涙目で睨み付ける彼女に、シンジは途中で口をつぐんだ。鍵を開けて先に玄関に入った彼女は靴を脱いで廊下に上がったところで立ち止まり、固まってしまう。そしてビクビクと肩を上下させて堪えていたものが切れたように鳴咽し、ついには声を上げて泣き出した。

「あ、ゴ、ゴメン、別にアスカのせいにするとか、そういうつもりで言ったんじゃ無いん…エッ?!」
「わぁぁッ…」

 扉を閉めて自分も玄関から上がろうとしたシンジが泣き出した彼女にうろたえて、とりあえず謝ってしまおうと口を開いた途端に、クルリと振り向いたアスカが顔をクシャクシャにしながら彼の右肩に頭を預けて抱き掛かる。狼狽するシンジは体を預けられてよろめきながら、泣き続ける彼女の背中にオロオロと腕を回して抱き留める。息が掛かる位置に近付くことも手を握ることも容易には許そうとしなかった気の強いわがまま娘が、自分から体を寄せて泣いている。

「あの、そんなに泣かないでよ」

 気の利いた言葉も出て来ないシンジは、ただ泣き続けるアスカの体の重さを感じることで、その時初めて生々しい彼女のおんなの息吹を肌身に感じて全身が火照ってくる。雨に濡れて水を含んだ彼女の髪から匂うシャンプーの香り。そして襟元から立ち上るほのかに甘く湿った体臭。濡れたブラウスに張り付いた肌を通じて感じる体温と体を預けられていることによる存在感。ドキドキと胸が高鳴るシンジの中で、それまで息を潜めて隠れていたシンジの心の中の黒い影が、この時一気に彼の心を支配すべく覚醒した。彼女の背中に回した両手に力がこもる。その変化に顔を離して泣き濡れた瞳でシンジを見るアスカ。

「シンジ?」

 数秒の間を置いた後、目付きが変わり表情に凄みを漂わせる彼に戸惑うアスカの頭を片方の手でかき抱きながら、シンジは微かに開かれたその唇に自分の唇を強く押し当てた。

 


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